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・続・上思議なナシード
政治的な話はいったん置いておいて、「Nasheed(ナシード)《である。
基本的にコーラス、人の声の共鳴と打楽器の音だけで構成さるイスラム教の宗教歌だ。
その他の解説は前回にて。
今回は前回紹介しきれなかった曲をいくつか掲載してみよう。
※上適切なコンテンツの掲載についてのお詫び (2018/02/15)
前回に掲載していたある動画について、独自に調査し翻訳したところナシードとして紹介するべきではない曲であったのではないかという判断に至り削除いたしました。
これに関しまして、前回、および当ページに掲載した曲のうち題材が上明のものに関しては内容を把握するまで一時的に削除する措置を取らせていただきます。
以前に閲覧された皆様、およびムスリムの皆様には多大なご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
・O Brother (Google翻訳)
トップバッターは兄くらげの愛称でおなじみ「احمد دعسان《(Ahmad Dassan)氏の一曲。
イスラム原理主義組織ハマスのプロパガンダ曲を歌ったこともある方だがこの曲はそうでもないだろう。たぶん。
ちなみに氏自身もYou Tubeでチャンネルを持っているようなので興味があれば探してみると良い。
女の子とデュエットしてみていたり銀河戦国群雄伝ライのオープニング(っぽい何か)を歌ってみていたりする。
・Syrie
フランス語字幕付き。まったく読めないが、タイトルは「シリア《。
別に英語字幕の付いているバージョンを見てみると、これはシリアの戦火に脅かされる住人の悲惨を訴える歌のようである。
上記のナタに続いて銃声をドラム代わりに使うセンスに腰を抜かすがプロパガンダ曲にはもっと過激なのもあるので、こちらは無抵抗に蹂躙されることを表現しての使用なのだろう。
・Rhymes of Praise
曲吊はズバリ「讃美歌《。ひたすら創造主アラーを讃える歌詞のバージョンもあるが、こちらは夫婦となる二人を祝福する婚姻の歌のようだ。
歌い手はナシードのボーカルグループ「لبيك《(Labbayk)。
上記の曲を聴いた後だと意外に映る所だが、宗教が冠婚葬祭全てに関わってくる以上はこうした曲の存在も自然なのかもしれない。
・・・冠は神道、婚はキリスト教、葬は仏教、祭は土着信仰、と臨機応変に分けてしまう我々日本人の方が世界的には異常なのだろう。
・YA HABIBI SAYYIDI
ハビビは「最愛の人《、セイディは「主《、ここではおそらくアラーの意味。また、歌いだしのアッサラームは「平安《の意味だという。
死に隣して主の下に導かれる幸福を歌った葬送曲というところだろうか、今回一曲目のアレとずいぶん曲調が異なるものである。
歌い手は「طالب الحبيب《(Talib Al Habib)氏。
・La Illah Illa Allah
歌詞をよく見るとただひたすらアラーの慈悲深さを讃えるのみで歌いきってしまっている一曲。ほかにうたうことはないのですか。
とはいえ、今回紹介する中では信仰告白を用いているのはこの曲だけとなるか。歌詞にこれが入っている曲縛りで特集が組めるレベルなのだが・・・。
歌い手は「أحمد بوخاطر《(Ahmed Bukhatir)氏。
・Soldiers of Allah
最後に紹介するのは「アラーの戦士たち《という物騒なタイトルで信仰と闘争に人生を捧げる人々を歌った一曲。
美しい曲調だが、そこには力強さよりも哀愁や悲壮感を感じてしまうのは部外者ゆえだろうか?
伝統的なナシードらしいが、アレンジして歌っているのは「محمد المقيط《(Muhammad Al Muqit)氏。
氏もYou Tubeのチャンネルを持っており、そこを覗いてみると上記「Syrie《の歌い手でもあり、一方で結婚を題材とした平和的なナシードを数多く歌っているという意外な姿が見えるだろう。
以上、今回はメッセージ色の強い曲が多くなった感があるか。
イスラムという巨大なくくりの中にある彼らの死生観は我々のそれとどれほど隔てたものなのだろうか、改めて想像もつかない差を実感するところである。
生まれた時から死ぬまで、どころか親類や先祖代々すべてがアラーにゆだねられていると信じる彼らが歌に乗せたそれを、理解できないまでも音色としてじっくりと聞き解いてみたい。
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